人と暮らせば
お久しぶりです。Judeです。
去年の12月から人の家に転がり込み、家主と2人で暮らしています。
7月に家族と絶縁してから5ヶ月間、ずっと「1人で生きていかねばならない」と気を張っていたためか、2人暮らしになった途端、なんだか肩の力が抜けてしまいました。当然この生活が長く続くとは限らないので気を抜いてはいけないとは分かっています。が、同時に「この生活が終わったら、死ねばいいのかもな」という気持ちになるのです。家族と暮らして幸せだったことがない私が、人と暮らす幸せを知れただけでも、もう私の人生は充分なのだと思うのです。
そもそもの問題として、私の幼い頃からの夢は、憎き両親と縁を切ることでした。それが実現した今、私にはもう打ち込むことがないのです。親離れすることを目標にしている人間は、悲しいかな、物理的に親と距離をとったところで、一生己の頭の中に巣食う親の幻影に付き纏われるのです。
同居人の一挙手一投足に、父親の姿をオーバーラップさせていること、未だに外を歩くときに警戒してしまうこと、何をやっても結果を出さねばと躍起になって、楽しめないこと、愛されていないと思うこと。全部、時間が解決すると信じて、貯金が尽きるまでは、生きてみようと思います。
それではまたいつか。
Twitterやめるぞマジで
Twitterやめるぞマジで、
とはいえニートで家族以外(家族とも?)誰とも関わらずに生きている自分にとって、最大限社会に露出していた場はTwitterなので、これをやめたら社会的な仮死状態になるのも同然なんじゃねーのと考えた時、はてなブログのことを思い出した。ここなら他人を見なくていいし、他人に見られることを気にしなくていいから、より文字通り「呟ける」かもしれないな、と思った。
(見ず、見られないことを前提とする以上、社会的仮死状態から蘇生しうるはずもないため、なんの解決にもなっていないようだが、行動を起こすことに起因する精神の安寧の会得を優先することとした。)
以下、今日の日記。
進化しすぎた脳という本の話です。面倒なのでリンクとか貼らないのですが、脳科学者が一般向けに書いたもののようです。初読が小学校中学年頃で、少し自分には難しいなと感じつつも、これが最新脳科学か!と痛く感動した記憶があります。最近古本屋で思いがけずその本と再会し(それまでその本の存在は忘れていました)、購入し改めて読んでみたのですが、(中退したものの)大学でほんの多少は脳や神経系についての学習をしていたので、それの総復習に毛の生えた程度に易しく感じられました。実際に、15年ほど前の本である故、もう最先端脳科学を謳うにはかなり無理があるのだとは思います。ですが一般向けで平易な文章で、なるほどこれなら小学生の自分でもギリ理解できたんだろうなという感がありました。小学生くらいの子供、身近にいないけど、いたら勧めてみたいなと思い立ち、いや子供どころか、大人も身近にいないしな、じゃあだれならいるんだっけと、そうして考えるうちに、まるで袋小路のようにやっぱり自分は孤独であるということを、この己の矮小な脳は、再認識するに至ったのです。
なんとか生きている
こんにちは、Judeです。
メンタルの不調って突然来るんですよね
多分梅雨のせいなんですけどめちゃくちゃ自信がなくてどうしようもない夜が多いです。
また眠れなくなっちゃったので、まあどうしようもないですね。 どうしようもねえ〜w
最近は絵を描くのがルーティンになってきました。コミケ原稿のせいなんですけど、まあいいことだと思います。結局僕は絵しか自信持てることがないので。(当然、絵が必ずしも毎回自信につながるわけではないですが)
今日もこれから絵を描きます。
やりきれない夜にしかできないことはたくさんある。
生きていきましょう。
久しぶりの更新になってしまいましたが、ブログの存在を忘れてるわけではないです。断続的でも何かがそこそこ続くのって嬉しいな。
なんかメンタル不調じゃないですね。どポジティブです。嬉しい。頑張ろう。
それではまた。
甲斐性がない
こんにちは、Judeです。
甲斐性がないのでブログ更新は怠るし帰省する日も決められないままズルズル過ごしています。
この前花屋で購入したムスカリが房の下の方から鈴なりに咲いていくのを毎日ボケーっと眺めると、自分は一体何やってんだ、300円の花はこんな頑張ってんのに…という気持ちになります。
親はあまりにも帰省を先延ばしにする僕に痺れを切らして明日のお昼にこちらに遊びに(あるいはお説教しに、はたまたダメな娘を叱咤激励しに、もしかしたら勘当のお知らせかもしれない)来るらしいです。
僕自身親には相当甘やかされていて、よくしてもらっている自覚はありますし、ここでまたアダルトチルドレンアッピールに明け暮れるほど根性は腐っていません。なので、僕の不幸自慢を察知して身構えたオタクは肩の力抜けよ。
親のことを考えるたびに、自分がばかで怠け癖があることが恥ずかしくて申し訳ない気持ちになります。まあ、なるだけですが。
甲斐性がないのでもうブログ書く気が失せてきました。今日は初めてスマホからブログ書いてて、めちゃくちゃ入力がだるいです。iPhoneXs、やっぱりデカすぎて文字打つと手が疲れちゃいます。
話変わりますがあとちょっとでローマ・カトリック信者に正式になるので楽しみです。
今は信者になるために隔週で勉強会みたいなのに通ってます。勉強会では一方的に講義を聞くだけで、理解や信仰を確認するような面談とかはなくて、それでいいのか?という気持ちになりました。
でもよくよく考えたらカトリックは生まれたての赤ん坊にも水をぶっかける団体なのでそれもそうかという気持ちです。
代母さんが決まりましたが洗礼名は決まりません。
ピエール瀧の逮捕がつらくて名前考えてもピエールとかしか出てこないです。助けて。
それではまた。
そしてまた不自由になる
こんにちは、絵が下手で悲しいJudeです。
絵がうまくないうえにろくなことも言えないので何か文章をツイートしては三秒で消し、ツイートしては消し、上手くもない絵だけ残していく悲しい化け物になってしまいました。コミュニケーション下手、絵も下手、文章も下手、どうしたらいいんだ。インターネット辞めたいです。
絵をいろんな人に見てもらいたいんですけどそもそもの@_Jud3のフォロワーはアイマスどころかオタクじゃない大学関連の人間がほとんどだからその人たちにまで見ろ!いいねしろ!とは全然思ってなくて、でもいざ新しい界隈にフォローして切り込むのってどうやってやるんだという気持ちになりますね。決戦は今月25日、如月千早生誕祭タグイラストだと思ってます。生誕祭イラストは伸びる、これはマジ。でも僕の絵は伸びないぞって予防線は張っておきます。弱いから。
もうツイッターで留年の話や男フォロワーはくそみたいな話やそういうどうでもいいこと言えなくなっちゃうんだなと思うとしんどいですね。
拙者アイマスのオタクなので、こういうつらいときには「THE IDOLM@STER」とか「自分REST@RT」とか聞いてます。よくアイドルやアニメキャラなんて自分とは違う人間なんだからそんなのに勇気もらうのってバカでは??という言説を目にして悲しい気持ちになります。僕はこれに反論するすべがありません。僕もよくわかってないですけど声優は40のおばさんとかなのでむしろそっちから勇気をもらっています。
アイドルモノの楽曲の歌いだしがエモいのが好きなんですけど、
”もう伏し目がちな昨日なんていらない”
っていうTHE IDOLM@STERの歌いだしに対して、
”昨日までの生き方を否定するだけじゃなくてこれから進む道が見えてきた”
って自分REST@RTの歌いだしががアンサーになってるのめちゃくちゃかっこよくないですか?あとアイマスじゃないんですけどWUGのタチアガレ!の
”夢を見るなんてきっとできないと小さな自分を守り続けた”
とかもオタクはグッときます。
あと辛いとき聴くオタクソングはアニメ「宇宙よりも遠い場所」のエンディングの「ここから、ここから」とかですね。僕ほんとに宇宙よりも遠い場所が大好きなんですけど、観てないオタクは今日中に見てほしいですね。土壇場で踏みとどまってしまう臆病な女子高生の主人公が南極を目指す子と出会って、一緒に踏み出していくっていう最強アニメなので今日中に見てほしいです。
ちなみに、僕にとってコミケは実質南極なんだよなあ~~!!!!!!(クソデカオタクボイス)っていう思いでサークル名が実質南極になってます。南極に来て。
僕はアニメキャラでもアイドルでも女子高生でもないただのFラン留年女ですけど、もうちょっと頑張ろうと思っているのはこの辺のコンテンツのおかげです。こういうこと言うとまた皆さんや脳内の仮想敵にまたバカにされちゃうのかな、やだな。生活リズム直したいのに全然治らなくてもはや 時差ボケ 治し方 とかで検索してる。夜と外には仮想敵がウヨウヨいるのでつらい。
このブログの弱音に対するアンサ―はすべてこの記事で紹介した4曲に詰め込まれてて、だからこういうこと書いた後もまた絵を描けますし、外に出られます。不自由になってもいいかなって思います。不自由を選び取る自由があることをかみしめています。
それではまた。