Judeの伝言

NEETのEってエンプロイメントとエデュケーションどっちがどっちのEでしたっけ?

正月太りの蓄積

正月太りが正月後に収まったことが人生で一度もないので毎日お正月なんだと思います。毎日お正月、本当に?むしろ最近はお正月が消滅した感があります。新年感がなさすぎる。大晦日感もない。人間としてちゃんと生きていきたいのでとりあえず人間にありがとうと御免なさいとかちゃんと言いたいと思いました。最近人間とのかかわり方でいろいろ反省する点が多くて落ち込んでいます。頑張ります。

無限を知らない

 こんにちは、Judeです。

 

 インターネッツのはびこった世界で生きている僕は、あらゆる情報の多さを前に、その情報量をおよそ無限としてとらえてしまうことがあります。検索窓に気になるワードを入れればコンマ何秒でウン百万件の情報が表示されます。早すぎる、そして多すぎる。僕は何も知らなくて、世界は無限で、僕はその中の何も理解することはできないんじゃないかと愕然とすることがあります。

 ですがそれは過去の話で、今の僕はこの世界で本質的に無限なものを知りません。コンマ何秒でウン百万の記事が引っかかろうが、それはウン百万であって、無限ではないのです。当然僕はそのウン百万を全部は知らないし、理解はできないかもしれませんが、ウン百万は無限ではないので、その中の一つでも知ることができたら、ないしはその中に何か情報を一つ書き足すことができれば、それは意味のあることになるし、愕然とし、絶望することもないのです。

 

 これは単純に数字の捉え方に関するメンタリティの話で、ウン百万が実際に無限なわけでもないし、ウン百万のうちの一つを知ったところで大したことではないのも確かっちゃあ確かです。でもせっかくならポジティブに物事をとらえたい、捉えるべきだと考えるまでに僕の精神は回復(いや、成熟かもしれないし、単純な変質かもしれない)したのです。しかし、ただ精神が回復しても、なんらかのトリガーがなければ物事の捉え方を変えることは困難です。僕はそのきっかけになるものの訪れを静かに待っていました。そしてそれは最近ついに僕の前にやってきました。そのトリガーは何か?Tinderでした。何って顔をすんな。いいから話を聞け。

 

 Tinderは言わずと知れた出会い系のアプリで、ちょっと前にバズって消えた暇な女子大生氏が高学歴男子を見つける際使用していたことで広く認知されました。詳しくはググってください。僕は単純に孤独を紛らわしたくてチャット目的で使用していました。出会い目的じゃない、本当です、ちょっと出会い目的もあったけど顔写真をアップできる顔と自尊心がなくてやめました。画面には次々に男(たまに女)が出てきます。僕は知り合いを見つけてスクリーンショットを撮ったり、贈られてくるチャットに雑な返信をしたりして楽しく遊んでいました。これをぼーっと続けるだけでかなり長い間遊ぶことができました。しかしついにその日はやってきました。

「もうあんたに紹介するような人間はいねえよ、これ以上の出会いはあきらめな。」

 そう、僕はTinder内において僕のストライクゾーンになりうる可能性を秘めたすべての人間を観測し終わってしまったのです。あんなにたくさんの男(たまに女)が出てきたのに、あの日々がずっと続くと持っていたのに。無限にいると思っていた人間はあっけなく、何の前触れもなくいなくなってしまいました。

 誰かが言ってた35億と5千万人は35億と5千万人「も」ではなくて「しか」なのかもしれない。検索結果のウン百万だって全部有限。俺も有限。あんたも世界も全部有限。無限を知ることができない虚しさから、僕はこうして解放されたのです。True End.

 

 

 それではまた。

ここはチラシの裏

僕は最近、生きていて本当に良かったと、ふと胸をなでおろすことがあります。それは自分に関して起こるのががほとんどですが、家族や友人や教授やインターネットでかかわっている人、すべての人に関して思います。胸を撫で下ろす、感謝のようなものなのかもしれないなと思います。何への感謝?神への感謝かもしれないなと思います。僕はカトリックの教義をおおむね納得して信じているつもりですが、主の祈りすら毎日唱えません。意識が神に向く機会が少ないということで、言うなれば罪びとの罪びとたる姿です。いや、…いやごめん。もっとそういうのが無しで読者がわかるわ~~~みたいになってもらえる話がしたいんですけど、うさん臭くなりそうですかね、うさん臭くなろう。ちょっと恥ずかしいけど。続きを書きます。いま生きていくことがいいことだと思える、なんでだろう。今までそんなこと冗談でも考えられなかったです。全部無駄だと思っていました。有機物が活動したりしなかったり、それが何って感じで全部気持ち悪かったのに。なんなんだろうな。今幸せですから!あなたも教会に行って幸せになりましょう!という文法って絶対昔の僕のような人に通用しないと思います。じゃあ僕はなんで今ここまで思考回路が変わって幸せに(皮肉的に言えばお花畑に)なれたのか。僕はここで神様のおかげだね、なんて思っちゃうのですがたぶん以前の僕にはその文法も当然通用しないはずですよ。僕は僕の幸せを獲得すると同時に生きることがむなしいと思っている人との対話の機会を悉く失ってしまったわけです。過去の自分と今の自分が全くの別人のように乖離していることが恐ろしく思うこともあります。昔の自分の行動の多くが、まったく理解できないからです。今の僕に言わせれば当然ありえないことですが、今の僕と過去の僕を俯瞰したとき、これからまた何回も僕は別人になってしまうのかもしれないです。あれ、俯瞰している僕が今の僕なんでしょうか。分かりません。よくわからないけど、生きていてよかったと胸をなでおろすたびに、過去の自分が脳裏に浮かんでは、どうしてしまったんだろうと思います。もっと単純に考えれば、自分は衝動と規範の間で揺れていたなんていう一次元的構造かもしれないなんてことも、ありうるのかもな、たしかに。

強さがほしい

こんにちは。

お久しぶりです。

あけましておめでとうございました。

Judeです。

 

年末年始は帰省してたんですけど、その間やたら機嫌のいい両親に甘やかされて世界って明るいじゃん!!!と最高の気分になっていました。が、帰省から戻ってしばらく大学に通っていたら、だんだん期末テストが近づいてきたせいでつらくなってきました。弱い精神。

 

ところで孤独って滅茶苦茶怖くないですか?フォロワーからの賛同を得られなかったのですが孤独が本当に怖い。最近孤独死するときの夢をほぼ毎日見ます。若い人でも突然死ぬときは死ぬし、しばらく気づいてもらえなかったら茶色いどろどろの液体になっちゃうんですよ。最近寝てる間に死ぬ可能性を考慮して、できるだけ綺麗な状態で見つけてもらえるように(茶色い液体になるとくさいし掃除大変だからね)電気毛布の電源を消して寝てます。そんなことないと思うけど僕がTwitterに丸三日現れなかったら明らかに生命が脅かされてると思うのでしかるべきところに相談してもらえるとありがたいです。しかるべきところってどこ?大学は敵だし絶対に僕が死んでるか確認してくれないと思う。死んだ隣人も僕の大学に来てる留学生だったし。どうしたらいいんだろうな。友人とかもうすぐみんな就職で遠くに行っちゃうし、だれが僕のアパートの鍵壊してまで僕が生きてるか確認しに来てくれるんだろう。本当に茶色い液体になりたくない。孤独な人間って誰にも知られず死んで誰にも弔われないまま茶色い液体になってしまうんですよ、なんで孤独なのに生きるんだろ。えーー、怖い。僕のアパートの床、フローリングじゃなくてフローリングに見せかけたビニールだから体液がしみこまなくって部屋の奥で死んでも玄関の方まで液が伝ってくるんです。そうなんですよ。本当に怖い。

自殺なんてとんでもないですよ。やるなら本当に樹海に行くべきだと思います、お前の液体なんて誰も見たくないよ。ぼくは最近は信仰(?)のおかげで自殺したい感情がほぼ0になってきました。よかったー。茶色い液体になりたくない理由としても信仰が若干関わってくるんですけど、キリスト教における肉体の復活って今あるこの肉体そのもので復活するっていう教義なんですよね。だからキリスト教圏では火葬でなくて土葬なんですね。火葬するとこもありますけど。茶色いどろどろで復活したくないじゃないですか、したい?はぐれ系のスライムじゃん…。いや普通に死んでも火葬されちゃうのか、灰で復活っていうのもな…どうしたらいいんだろう。聖人は腐らないわけだし、(仏教的な言い回しになっちゃうけど)徳の低い人間はスライムっぽい姿で復活して、徳の高い人間は腐らないから人の形で復活して、最後の審判後の世界、今以上にヴィジュアルでヒエラルキーが決定されそうで怖い。

 

先に悪いほうの話をしました。今から(ぼくにとって)いい話します。死ぬのが怖いけど何やかんや僕は今結構元気で、楽しく生きています。昔同じ学年だった女たちがすれ違うたび垢ぬけてかわいくなっててビビるので、ぼくも留年生だけど美しくなっちゃお!!!!と思っています。この前ベースカラー診断したんですけどブルベ冬って言われました。秋の色の服は顔が死ぬから着るなってまで言われました、やったーーーー!!!ブルべ冬イキリどんどんしちゃお。ぜってえ美しくなってわいせつな格好して酒飲んでナンパされまくるぞ。それはそうとトミーヒルフィガーのごつい上着がほしい。服の趣味はオタクなのでエッチな服を買う発想が生まれない。エッチな服着た美しい女よりごつい服着た美しい女の方がよくないですか?絶対そう。俺の勝ち。俺の価値…。

 

 

それではまた。

 

人間が好き!!(本当に?)

 

 クリスマスおめでとうございました、Judeです。

 

 クリスマスイブイブ、すなわち23日は日曜日だったので、おたくは例によって教会に行ったんですけど、その日は大学の寮で(厳密にはネットで)出会った友人も一緒でした。

 その友人と会ったのは2・3年ぶりだったんですけど、めちゃくちゃかわいくなってて、圧倒的に好きになりました。髪の毛もバッサリ切ってて、ピアスつけててかわいかったです。この日だけで友人のピアス5億回チラ見した。

 

 友人は幼児洗礼をうけてカトリックの教育で育ったサラブレッドでした。Judeのような雑種とは格が違う。でも教会やその教えに対しては「別に…」って感じらしいです。そんな中、僕が最近教会に通っている話をインターネットでしまくるので久々にミサに行くかとなったらしいです、なるほど。布教に成功したか。それで、ならぜひ僕の通ってる教会に来ませんかと声をかけた次第でした。

 といっても電車で40分もかけて僕の近くの教会まで来させておいて、僕は不安でした。僕は望んで毎週こうやって教会に通っていることがものすごく幸せですが、生まれて自我が芽生える前からこの場所に来させられるってどういうことなんだろうって考えてました。もし久しぶりにミサにあずかっていやな気持になってしまうなら、ミサにあずからずにいやな思いを反芻しないで済むほうがなんて幸せでしょう。

 まあ本人が言い出しっぺなので(来させたのは僕だけど)もうどうにでもなれという気持ちでもありました。まあこの話に関しては特に本人からなんも聞いてないのでオチはないんですけど。僕の考えすぎかもしれないし、オチがつく話でもねえし。

 

 そういうわけで完全に僕の自己満足で二人で教会に行きました。僕が初めてこの教会に来た時に話しかけてきたオバサンが目ざとく見慣れない顔の友人を見つけてこちらにやって来た時はさすがと思いました。そういう役回りの人がどこにでもいる。

 ミサでは祈ったり歌ったりパンを食べたりいろいろするんですけど、その中の一つに平和のあいさつっていうやつがあります。近くの席の人と「主の平和~」って言って挨拶するっていう。その日は友人と「主の平和~」をしてエモくなったのと友人がかわいいのでめちゃくちゃ気持ち悪い笑顔になってしまいました。平和のあいさつってすごくないですか?ラスボス並みの強キャラの必殺技っぽい。ぽくない。説明が下手ですが僕はとにかく、いつも平和のあいさつでとても幸せな気持ちになります。

 

 ミサが終わったら友人とお昼ご飯を食べました。ミサが終わった後も暇な人はまたみんなでお祈りしたりお茶してたりするんですけど今日はサボりました。サボるのってわくわくするよね。小学生なので。

 お昼を食べながら友人の話をいろいろ聞きました。一番面白かったのはカトリック式沐浴の話です。なんかデカい川に服着たまま入って柄杓で水すくって頭にかけてばちゃーみたいなのを想像してたんですが、全然違いました。個室のデカい風呂に冷たい水が張ってあって(この水は宗教的にすごい水を使っている)そこに全裸で入るらしいです。そして最後にお祈りをして頭まで沈められる。芸人かよ。友人はこれを高校の修学旅行でやったらしいです。おフランスで。カトリック教育機関パワーあって最高ですね。来世はカトリック系の教育機関で教育を受けたい。(来世?)

 

 僕は普通の公立高校に通っていて、修学旅行は長崎だったんですけど、僕はここでキリスト教に目覚めたんですよね。オタクは仏教徒ながらに信徒発見の奇跡の話聞いて泣いてました。そしてその奇跡をたたえてフランスから贈られた白亜のマリア像を見ていたく感動して、語彙が消失して、ただばちゃばちゃ写真を撮ってました。迷惑な仏教徒ですね。いろいろ思い出してきた。この話100回くらいしたいんですけど迷惑なので我慢してるんですけどそのうちブログで書いてもいいですか?いいですね?ありがとうございます。

 

  キリスト教の話ばっか書きましたが基本友人とは共通のフォロワーの話で盛り上がってました。オタクなので。

 あと友人からシュトーレンをもらいました。家帰って即もぐもぐ食べた。おいしかったです。Jude幸せですね。

 

 完全に僕が考えすぎというか重いというかお節介なんでしょうけど、久しぶりにミサに行った友人がどう感じたのか、今もすごく気になっています。幼児洗礼の人間がミサに行くのって普通の日本人が神社にお賽銭いれるような感覚なんだろうか。僕にはきっと理解が難しいのだと思います。でも僕は友人が一緒に来てくれてすごく幸せでした。なんか宗教の人っぽいな。そうだけど。やめよう。

 

 書きまくると意味わからなくなっちゃうし僕もよくわかってないので今日のお話はおしまいです。最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

 

 なお今回から、「改行したら段落が変わるので一文字空ける」という小学二年生でも当たり前にできる作文のルールを順守しています。文章に責任を持ちたい。Twitterで無責任な文章をだらだらやるのが当たり前になっている意識を変えたいです。おわり。

クリスマスがくる、2018年が終わる。

 

スタバのクリスマスっぽい色味の液体を飲んだりマフラーを編んだりアドベントカレンダーをめくったり教会にツリーとか出てたり天気予報がコンスタントに氷点下を予言したりするけどどうしたらいいんだ、どうしたらいい?2018年が終わるけど恐怖の大王は来ない、でもクリスマスと2019年は来る。怖。南半球でピニャコラーダ飲みながら年を越せたらどんなにいいだろう。絶対寒いのが悪い。大学で咳してる人が日に日に増えてるのとかゲンナリする。風邪をひかない完璧な医療があればましか?かんぺきな医療があったら宗教は残るのか?医療は神話なのか?神話は見えないから神話なのであり、事実としての医療は神話ではない寝言を言うな。さて来週のゲストはと毎週のたまっていたテレビの司会者も今週は来週は年末年始特番でお休みだの超豪華三時間スペシャルだの言っててもう何もかもがめちゃくちゃ。年末年始はすべてが緩み、絡んで、引き攣れてしまう。こんなはずじゃなかった。365日で区切ってなんだというんだろう。その切れ目がなんだというのだろう。ていうか氷点下の日に切れ目を持ってくる意味あります?ないよな?マジで温かい時期にあけおめ~~~ってやりたいね。あとクリスマスプレゼントとか言ってエグい課題を出してきた教授お前も(そうだね、私もだ)年末年始を滅茶苦茶にした他ならない一人だからな。

小学生にサーティワンをおごった

こんにちは、Judeです。

 

前の日曜日、教会にミサに行ったんですけど、その後に子供のクリスマス会があって、僕もそれに参加しました。

クリスマスの話を神父さんから聞いたり、全然知らない曲を初見で歌ったり(信者は初見で歌を歌うのがめちゃくちゃうまいです。ミサでいろいろ歌うので。あるいはみんな知ってた曲なのかもしれない。)、オードブルとか信者が持ち寄った料理を食べたりしました。あと子供に交じってプレゼント交換をしたら、すごいちっちゃい子供用の手袋をゲットしました。

にしても最近のキッズ、本当にYouTubeの話しかしないのでビックリしました。僕はあらゆる素材からめちゃくちゃ切れる包丁を作る人の動画が好きなんですけど、その話をしたら小6の男の子と話が弾んでマブダチになれました。

小学生は教会でもところかまわずヒカキンとセイキンが殺しあったらどちらが勝つかとか、ゼリーで作った包丁で人を殺せるかとか平気でしゃべるので僕はハラハラしました。

 

そのあとマブダチになった小学生とその姉の中三の女の子とイオンのゲームコーナーでマリカしたりして遊びました。学科の知り合いがそこでアルバイトをしてたのでめちゃくちゃ怪訝そうな目を向けられました。キッズに自販機でお茶買ってあげたら突然敬語で感謝されました。さっきまでデュクシデュクシいいながら殴ってきてたやんけと思いました。

僕はADHD(自己診断)なのでゲームコーナーのどっかに携帯を置き忘れてました。小中学生相手に失態がばれてはならんと思ったので二人が太鼓の達人やってる間にこっそり探しに行ったんですけど見つからなくて、(バイトの人に聞きましたが、カウンターには届いてませんでした)1クレジット終わったキッズたちに「今何時?」と聞かれました。携帯がないので時間がわからんと言わざるを得なくなり白状すると、2人は血相を変えて捜索して見つけてくれました。二人はガチのマブだなって思いました。Jude感動。

で、迷惑をかけたお詫びに二人にサーティワンをおごることにしました。嬉々としてキングサイズを注文しててかわいかったです。小6のほうがジャモカアーモンドファッジで中三のほうがラブポーションサーティワンにしてました。僕はウィンターホワイトチョコレートにしました。みんなで一口ずつ味見したんですけど、全会一致でジャモカアーモンドファッジ=パピコの味ということになりました。キングサイズ普通に多いよって忠告したのに小学生はどろどろになるまでアイスと格闘していたので眼福でした。どろどろのアイスで遊ぶ小学生が好き。

 

講義が終わったので以上です。